
突然に「死」を突き付けられる時が来る。
受け止め方は各々だ。
医学が一時回避をして呉れる事も有れば
受け入れざるを得ない時もある。
先進医療が最高とは言わないが、死の前に
医療がある事は事実だ。信仰や自己啓発・
超自然的エネルギーを論じるのは「死」を
突き付けられる前か精神的支えまでで
あるべきだ。
人は身体と精神で一つのものと言えるが、
「気の持ち様で」を優先する根拠にはなら
ない。その事が、当たり前の検査や治療を
遅らせてはならない。ましてや医療に携わ
る人間がそれを薦めてはいけない。
わが友に「馬鹿」とは言いたくはない。
しかし、ソフトとハードは分けるべきで
自論を他人に理解させようとしてはならな
い。多くの人の嘆きを「意識レベルが低い」
と言うのか。君の親も同じように信仰の中
で死んでいった。悔しくはなかったのか。
その為に残された人はどうだったのか・・・
「死」と「生」は真逆であって同じものだ。
どちらか一方だけ存在する事はない。
もうじき盆がやってくる。
故人を迎え語り合うのも良いだろう。
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京都を歩いて気がつくのは、縁結びの神さんの賑わいだ。
安井金刀比羅宮では綺麗な娘さんでいっぱいだ。
30年前には何処か気味悪いほどで、縁切りのイメージが強かったのだが・・・

野宮神社は境内から人が溢れている。

しかし、元祖プレイボーイの「源融」の墓は参る人とてない。

古来、日本人は荒ぶる者を「神」と祀り怒りを鎮めた。
スサノオノミコトしかり菅原道真しかりだ。御霊神社には7柱が合祀されている。

こうしてみると、「神」としてまつってしまう方法は誰もが手を合わせてしまえば安心できるのだろうか。
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